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執筆者の写真森をツナグ

『父の日』に自分史のプレゼント



先日の『父の日』。お祝いをするために、実家へ帰っていました。父も今年で83歳。随分と足腰も弱くなって、少しばかり認知症の症状も出てきています。


本当は温かくて優しいけれど、ザ昭和の頑固な父親には、大きな声でよく怒鳴られていました。食事中に正座を崩すたびに「足!!足を崩すとお嫁に行っても追い出されるぞ」と言われ、その度に「何で女だけがそうしないといけないの!」と反発してました。


ここ数年は帰る度に、歳をとったなぁと感じることが多くなりました。「時代は変わった、一生懸命頑張ってきたけど身体も動かんようになってきた」といつも呟く父親に、心からのありがとうを伝えたいと思い続けていました。


祖父がはじめた仏壇の洗濯業を、父親が小売業にして大きく発展させた半生を自分史(ヒストリー)にまとめて生きている間に渡したい。父方の家系図もなかったので辿れるところまで作って残したい。本当にいい人生だったと思ってもらいたい。そう願っていました。2年前ほど前『インタビューさせてほしい、お父さんの自分史を作りたい』と父親に言ったら、『もう一生懸命やってきてそれが全てや。そんなもん、今さら作っていらん』と断られて悲しくなりました。


でも、どうしても作りたかった。だから父親に作ることは言わず、実家に帰る度に夕飯を食べながら、昔のことを聞いて(あまり具体的には話さないので何度も聞いたりして)、それを密かに録音して書き起こしたり、母親に父親の当時の様子を聞いたり、弟たちに覚えているエピソードなどを細かく聞いたり。昔の写真も引っ張り出すと、そこには高校時代の山登りする父親や、わたしが幼い頃、商売を必死にやっていた父親の姿がありました。なんとなく知っているつもりだったけど、全然知らなかった父親の姿。貧乏から這い上がるために仏壇小売業をはじめたこと、子どもたちに苦労をさせないように必死で働き続けたこと。どんなに忙しくても子どもたちを旅行に連れて行ったり、節目の記念写真を欠かさず撮っていたこと。話を聞くたびに、写真を見るほどに、反発していた自分が恥ずかしくなり、尊敬と感謝の気持ちが湧き上がってきました。



父の日の当日。本当に喜んでくれました。小さな文字をもう読みきれない父親に、読み聞かせをしました。『表紙のビルの写真がええわ。迫力があって自分がやってきたことが全てここに現れているようやわ』『大変な労力やったなぁ。自分がやってきたことがこうやって形になって…自分は目の前のことを必死にやってきただけやったけど、立派なことをしてきたみたいやんか…棺桶に入れてな』『家系図も作ったんか…形にすると残っていくでな』と涙ぐみながらに喜んでもらえて、純粋にとても嬉しかったです。



自分史のエピソードをきっかけに、色々なことを思い出したようで、商売の原点になるこれまで聞いたことのなかった話が聞けたり、わたしたち子どもへの想いが溢れてきたり、深い愛情にも懸命に生きてきた姿勢にも涙がとまりませんでした。『お父さん、心からありがとう。お父さんを誇りに思っているし、お父さんの娘で生まれてきて本当によかった』ずっと伝えたかった言葉をちゃんと生きている間に伝えることができて本当に幸せな父の日でした。弟たち家族も一緒に、みんなでお祝いできて本当によかったです。



父親の自分史の最初の何ページ目の画像を添付しています。続きをご覧になりたい方は、個別にメッセージをくださいませ。全20ページ、B5版、オールカラー無線綴じ冊子仕上げとなっています。


森をツナグでは『自分史』の作成をさせていただいています。ご自身の人生をあたらめて振り返って残りの人生を豊かなものにするために。ご両親や祖父母の想いを生きている間に聞いて、形に残して後世につなげていくために。ご興味のある方がいらっしゃったらお声がけくださいませ。 https://www.moriwotsunagu.com/blank-2










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